Some Kind of Bliss

Kylie Minogue - Some Kind of Bliss - 1997
 
「当時についてはこれっぽっちも後悔はない。ブリットポップの終わり頃に登場したバンドが『退屈な時代だった。一括りにされて無理やり自分たちのスタイルとは異なることをさせられていた』だなんて語っているのは俺には全く理解できないね。50万枚もレコードが売れたわけだろう?おまえらがやりたいことをやったところでどうせそんなに売れないだろう?クソ野郎!ってね(ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド)」
 
いきなりマニック・ストリート・プリーチャーズのフロントマン,ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドの言葉の引用(これは2016年,オアシスのネブワース公演20周年に際してジェームスが Digital Spy で語ったもの。さらに付け加えておくと,ネブワース公演は2日間で延べ25万人を動員したオアシスの伝説的ライヴでマニックスがサポート・アクトを務めている)から始めてしまったが,本日取り上げるのはカイリー・ミノーグの Some Kind of Bliss
 
この曲は1997年の 6th アルバム Impossible Princess からのリード・シングル。彼女の故郷であるオーストラリアで最高27位,全英では最高26位のスマッシュ・ヒットとなったが,従来の彼女のイメージを覆すロック色の強いサウンド・デザインへのアプローチが激しい非難の対象となった1曲でもある。ソングライトを担当したのがマニックスのジェームスとショーン・ムーア。今でこそ2000年の Light Years,あるいは2001年の Fever による完全復活への転機とする前向きな評価も散見されるが,如何にもブリットポップ然とした彼らのサウンド・デザインがダンサブルなエレクトロニック・ポップを期待するファンの反感を買ったというわけだ。
 
好きか嫌いかと問われれば,当然,僕は好き。
 
そもそもザ・スミスとの出会いからマッドチェスター~ブリットポップの隆盛までが今日の僕の音楽観の根幹となっており,今なお私的最重要バンドの一つであり続けるマニックスが手掛けた楽曲をオーストラリアが世界に誇るポップ・アイコン,カイリー・ミノーグが歌うというだけで心躍るものがあったわけだが,見事なまでのジェームス節が炸裂するこの楽曲そのものの良さももっと評価されてもよかったはずだと個人的には思う。
 
何とも取り留めのない記述になってしまったが,最後は当時のカイリー自身の言葉で締め括ろう。
 
「正直,Impossible Princess での音楽性の拡大は不安だったわ。でもそれらを全て網羅しているのが今の自分なのだから,すべての曲が同じようなアルバムになったらそれこそが偽りになると思ったの(カイリー・ミノーグ)」
 
 
 

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