お気に召すまま
「それは最悪の『物語』」と銘打ってスクウェア・エニックスとポケラボが共同運営するスマートフォン向けゲームアプリ「シノアリス」。
僕は2017年6月のリリース当初からのユーザーで,現在,Rank 211 の魔具ファイター。先月,2周年を迎えてさらに拍車が掛かるあからさまな課金誘導に辟易して,「それは最悪の『課金物語』」などと呟きつつ,今でも細々とプレイを続けているわけだが…
…と,そんなことはどうでもいい話で,今日の肝は,僕が所属するギルドの愛すべきドジっ子メンバー・ありすさんによるギルド・チャットでの一言。「ねえねえ,Eveっていう歌手,知ってる? Johnさんにも聴いてみてほしい」(ご覧のHNに由来して,僕はゲーム内ではジョンさん,もしくはメタさんと呼ばれている。)
恥ずかしながら初音ミクによる sister を知っている程度でほぼ予備知識のないまま,MVを含めて「文化」「おとぎ」の2枚のアルバムを視聴。ドラマツルギー,トーキョーゲットー,僕らまだアンダーグラウンド,君に世界…。
「ボカロPという一面を持ったアーティストのソングライトにはある種の共通項というか,やはり堅持すべき独特のトレンドがあるのだろうか…?」
米津玄師や須田景凪あたりを思い浮かべつつ,思わずそんなことを考えさせられてしまった彼の楽曲の多くは,当然のことながら,カッティングを多用したUKオリエンテッドなギター・サウンドという僕の音楽的嗜好の根幹に違和感なくフィット。
Eve - 文化 - 2017
Disc 1 #9 お気に召すまま
とりわけ,メロディが最も僕好みだったことに加えて,予期せぬ,しかし極めて重大な(おそらく僕以外には全く理解不能,読者のみなさまおよび他のリスナーのみなさまにとっては,どうでもいい内容だと断言できる)考察を与えてくれた「お気に召すまま」を彼のベストに挙げたい。
近作にはない粗さを残しながらエッジの聴いたサウンド・デザインが光るこの曲,「何かを思わせる…」と妙な既視感と共に4度リピートした後,先月,例の失踪騒ぎで世間を賑わせた KANA-BOON の「結晶星」に辿り着く。(異論もあろうが,カッティングを軸にしている点,マイナーなメロディ,どこか退廃的なリリックと独特の節回し,そして全体の構成が何となく「結晶星」を思わせたというだけで,決して似ている云々といった話ではない。)
さて,重要なのはここから。
「お気に召すまま」を繰り返した後,1曲を残してアルバムを中断,久しぶりにその「結晶星」を聴き返してみたわけだが,白々しさというか,軽薄さというか,僕の大のフェイヴァリットだったはずの「結晶星」にこれまで感じたことのない違和感が…。「こんなに薄っぺらい曲だったか…?」
違和感の正体を探るべく「お気に召すまま」と「結晶星」を交互に聴き返していくうち,それがリリックの持つ重さの違いに起因するという一つの結論に達する。
「世界の終わりがやってきた/その日/君は笑えてるはずさ」「結晶星」の主人公は,中盤,おそらくはごく親しい女性にこう語りかけているが,冒頭から「今までどうにかやってきた/やってきた/だから/これから何もかも上手くいく/上手くいく/気がする」あるいは「君がしたいならそうすりゃいいじゃん/やめたいなら/やめればいいじゃん/学校だって戦争だって退屈な日々の繰り返しなんて」などと無責任に言い放つ彼のその言葉には何の根拠も示されておらず,端的に言ってしまえば,それは耳触りがいいだけの単なる楽観論に過ぎない。
彼はその後,さらに「未来をどうにか変えていこう/僕らの何かの結晶で/冬が来て/雪になり降り注ぐように」と続けてもいるのだが,上手くいく気がしているというただそれだけで安直なドロップアウトを勧め,「何かの結晶」などと,必要な結晶が何かも分かっていない彼らにその後の未来など変えていけるはずもないだろう,と…。
対して「お気に召すまま」。
曲中の主人公は,「結晶星」同様,ごく近い関係にあると思われる女性に対して「立ち止まんないでいいんだからね」や「畏まったって/意味ないんだって/恥ずかしがった/夢にばいばいです/この先ずっとよろしくね/よろしくね」といったポジティヴな言葉を投げかけてはいるのだが,注意深く耳を傾けると,それらは必ずしも本心ではなく,「大正解なんてないのさ/じゃあ一体どこに向かえば/物語は終わりますか」「散々嫌になって/でも好きになる/ねえねえ/わかんないや/この先もずっと/わかりあえるまで僕たちは」という迷い,葛藤を抱えた彼が半信半疑のままようやく絞り出した言葉であることがわかる。
捻くれ者と言われてしまえばそれまでなのだが,単純な楽観(もしくは悲観)論よりも,後者のように矛盾を孕んだ多層的な心情描写の方が遥かに僕の好み。
これが「お気に召すまま」が生んだ「結晶星」への強烈な違和感の正体であり,だからこそ,僕はこの年齢になってなお At the Bottom of Everything のモノローグに惹かれ,また,モリッシー,特にザ・スミス時代の彼の詞作を愛し続けてもいるのだろう。
いずれにせよ,勧められなければ耳を傾けることはなかったと思われる「お気に召すまま」との出会い,そして,この曲が,僕の今後の人生の喜怒哀楽の一場面にずっと寄り添う1曲となるであろうことは,何とも嬉しい話だ。
注記:
リリックの解釈は個々のリスナーに委ねられるものだと僕は思っているし,本記事における記述はあくまで僕の個人的見解であるから,一切の異論・反論を受け付けるつもりのないことを最後に断っておく。
さて,親愛なるドジっ子メンバー・ありすさん,こんなところでどうでしょう?
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